母校桐朋学園の学生であったもう40年以上前の或る日の午後、当時弦楽科の助教授を務めていた木村滋子先生が私に声をかけて下さいました。「大輪君、現代音楽に興味ある?」前衛音楽はあまり好きではありませんでしたが、現代音楽やその作曲家達には興味があったので、一言「はい」と答えました。「今からペンデレツキが大学へ来る予定なの。そして作曲科の学生達と話がしたいって言っているんだけどどう?」女史は続けて私にこう告げたのです。面白そうなので「では参加します。暫く待っています」と答えました。ちょうどその時近くを通りかかった恩師平吉毅州先生に「先生、ペンデレツキが大学へ来るらしいですよ」と伝えると氏は「ほう、じゃあ顔くらい拝んで来いよ」と言いました。その「拝む」という言葉をどのように解釈するのかは此処ではさておくとして、私と木村先生はペンデレツキを待ちました。いや待ち続けたといった方が正確かもしれません。しかし待てど暮らせど彼は来ません。日は落ち、あたりが薄暗くなっても車の到着する様子さえうかがえないのです。そして結局、とうとうペンデレツキは桐朋学園に現れませんでした。理由は「富士山を見に行った帰り交通渋滞に巻き込まれたから」でした。これは私にとって彼のどの前衛作品にもまして心の裡、その奥深くに刻み込まれた想い出なのです。
ペンデレツキは1933年生まれのポーランド人、60年代初期から前衛音楽の旗手として頭角を現し、中でも弦楽オーケストラのための’広島の犠牲者に捧げる哀歌’(実はこの題名、後から付けられたもの)という作品によってその名を世界中に轟かせたのです。この曲、表向きには前衛さをたたえてはいるものの、構成的には二元性、即ち複数の主題から成り立っているといったある意味古典的な曲でもあるのです。その第一主題は’トーン・クラスター’といういわゆる密集形の房状和音から成り、第二主題は弦楽器の特殊奏法によって書かれています。音楽、特に作曲において’クラスター’というと、通常は’トーン・クラスター’のことを指します。奏者は隣接した全ての音を同時に発するため、楽譜は帯状に黒く塗り潰されるのです。そしてその音響ソノリテは聴覚へ実に強烈なインパクトを与えます。
今回の新型コロナウィルスで’クラスター’の言葉を耳にした時、私はすぐさまペンデレツキの作品を思い浮かべました。彼の死の原因が決してこの’クラスター’ではなかったことを祈りつつ、’トーン・クラスター’の作曲手法が新たなウィルスへのワクチンであったならば….と日々思い考えるのです。