「コロナ禍におけるロシヤのウクライナ進軍」



 ウクライナ出身の音楽家をあげてみるならば、その名は綺羅星の如く並んでいく…..

 作曲家プロコフィエフは当時のロシヤ帝国領ソンツォフカ生まれであるから、ここは現在のウクライナ、ドネツィク州である。ピアニストのホロヴィッツも同様彼はキエフ音楽院出身、またエルマン・トーンで一世を風靡したヴァイオリニストのミッシャ・エルマンもまたウクライナ出身である。まさにこの地は大音楽家の宝庫だったと言って良い。しかし出身地を問わず旧ソ連に残留した音楽家の多くは、不幸にも芸術的イデオロギーを理由に様々な圧力をかけ続けられたのは周知の通りである。そして1953年のスターリンの死後こういった人々への圧力はある意味後退していったのもまた事実である。

 1980年代半ばから旧ソ連最後の指導者であったゴルバチョフは新たな政策でさらなる改革と経済の自由化を目指した。その目的は社会主義体制を維持しつつ経済の停滞を逆転させることであった。しかし彼の在任中冷戦は終結し東欧諸国はマルクス=レーニン主義を打破、ソ連全土でも強力な民族主義・分離主義運動が勃発した。その後1989年、遂にベルリンの壁が崩れ、これに続いて1991年には旧ソ連も崩壊し国はロシヤ共和国へと移行した。しかし同年8月共産党の強硬派によるクーデターが勃発、だがこれは大統領エリツィンを中心に阻止されて失敗に終わった。その結果共産党への信頼は失墜し、ロシアとウクライナを中心とする共和国が独立を宣言を果たした。

 1991年12月25日ゴルバチョフ大統領が辞任、ソ連崩壊によりすべての共和国はポスト旧ソ連の独立国として誕生、そしてロシヤ共和国は旧ソ連の権利と義務とを引き受け、世界情勢においてもその継続的な法的人格として認識されるようになった。しかしそれにもかかわらず今回の侵略戦争である。社会・共産主義による独裁的イデオロギーの恐ろしさ、そしてそれらがまだその根底に流れていたという現実がまさにこの恐怖思想に表れている。

 米国が参戦を控えているのは長期的展望に立って、最終的な勝利をロシヤへ与えないためである。それは第二次世界大戦中に英国がとったある方法に近似している。

 レーダーは20世紀初頭ドイツが開発を始めたが、最初に航空機の探知に成功したのは英国で、それは1935年のことである。この大戦中英国は母国のある都市がドイツ空軍によって爆撃を受けるという情報を既にレーダーによって察知していた。しかし彼らはそれを防御せずにこの小都市を犠牲にしても大きな戦争を勝利へと導くため、あえてレーダーの存在を隠したのである。

 歴史は繰り返されるという事はある意味歴史主義を否定した詩人、ヴァレリーの言葉にも表れているだろう。

 『歴史』とは人類知性の化学が作製したもっとも危険な産物である。 … ポ-ル・ヴァレリー


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です