母校桐朋学園の会報だったのか記憶は定かではありませんが、1955年シンフォニー・オヴ・ジ・エア(元NBC交響楽団)が来日した時、楽団員が桐朋学園オーケストラの指導にやって来ました。指揮はその時まだ学生だった若き小澤征爾で、当時の白黒写真を見たことがあります。恐らく20歳前後だったでしょう。しかし果たして誰が調布市の仙川まで楽団員を呼んだのでしょうか。
当時の桐朋学園では文芸評論家の丸谷才一が英語を教え、作曲・音楽理論は柴田南雄、入野義朗、別宮貞雄、音楽史は吉田秀和やマルセル・グリリ等が担当していた筈です。そして特に中でもグリリ氏はかのトスカニーニとも親交のあった人ですから、その時来日したシンフォニー・オヴ・ジ・エアのマネージャーでもあった作曲家ドン・ギリスにでも交渉したのでしょうか?ふとそんなことが頭をよぎりました。
音楽理論史上の名著とも言えるイエッペセンの「対位法」(柴田南雄・皆川達夫共訳)は長らく半世紀以上も絶版でしたが、近年復刻されたのは何よりも喜ばしいことだと思います。そのあとがきの最終行には訳者によって次の様に書かれています。
「原書のハ音記号を廃止したために生じた全楽譜例の書き直しという面倒な仕事を引き受けてくれた小澤征爾君と、索引作製を煩わした中野博司君に感謝の意を表する。」(原文そのまま) 1955年9月10日
また1980年作曲家入野義朗先生が亡くなられた時の自宅での密葬では、すぐ前でハンカチで涙をぬぐっていたのをよく覚えています。私の隣では作曲家の服部公一氏がしきりに汗を拭いていました。ロシア正教歌が流れる中、しかも蝋燭を片手に祈った水無月の蒸し暑い午後のことでした。
マクロ的な絵画を音で描くことのできた大指揮者の冥福をここに祈りたいと思います。